自己紹介させて頂きます
刺激的な20代
東京、浅草や上野の近くの台東区下町生まれ。
女子中・高・大と女子ばかりの環境で10年過ごしました。
(ここで少したくましくなる笑)
大学卒業後、旅行会社に入社。
海外添乗員を経験、世界約30カ国を廻るが
「添乗員の仕事は50代以降にまたチャレンジしよう」と
ふと思い、若い時にしか出来なそうなハードな「営業」という
仕事を志し、リクルートにアルバイトで入社しました。
毎日色々なお客様と出会えること、
目標という分かりやすい数字があり、達成する楽しさを味わうこと、
自分が作った求人原稿で応募した人の人生が良くなること、
など
仕事が楽しくて仕方なくなり、契約社員を経て正社員へ。
その後も会社は東証1部に上場し、キャリアは安定して
刺激的な20代を過ごしました。
女子中・高・大と女子ばかりの環境で10年過ごしました。
(ここで少したくましくなる笑)
大学卒業後、旅行会社に入社。
海外添乗員を経験、世界約30カ国を廻るが
「添乗員の仕事は50代以降にまたチャレンジしよう」と
ふと思い、若い時にしか出来なそうなハードな「営業」という
仕事を志し、リクルートにアルバイトで入社しました。
毎日色々なお客様と出会えること、
目標という分かりやすい数字があり、達成する楽しさを味わうこと、
自分が作った求人原稿で応募した人の人生が良くなること、
など
仕事が楽しくて仕方なくなり、契約社員を経て正社員へ。
その後も会社は東証1部に上場し、キャリアは安定して
刺激的な20代を過ごしました。
変化の30代
営業の仕事の結果を残すことにがむしゃらになり、
深夜まで働いてから飲みに行ってタクシーで帰宅なんてことが何度も。
(ここで更にたくましくなりました)
その後27歳で結婚、30歳で第1子出産を経験し、時短でギリギリの時間まで働き、
ダッシュで保育園にお迎えにいく、いっぱいいっぱいの生活になりました。
また20代で積み上げたキャリアが
育児休暇復帰後にゼロリセットされて精神的にもキツい毎日でした。
その頃、母親との関係の悩み苦しむ親友から頻繁に相談されることがありました。
何度か話を聞いていましたが、自分の忙しさ、余裕のなさから断ることも。
それから半年後、もう彼女には2度と会えなくなってしまいました。
亡くなったのです。
しばらくは毎日息が苦しく、自分を責めました。街中で彼女に似た人とすれ違う度に、彼女の姿を重ね、何度も追いかけてはガッカリしていました。
「何でもっと真剣に彼女の話を聞かなかったんだろう」と。
深夜まで働いてから飲みに行ってタクシーで帰宅なんてことが何度も。
(ここで更にたくましくなりました)
その後27歳で結婚、30歳で第1子出産を経験し、時短でギリギリの時間まで働き、
ダッシュで保育園にお迎えにいく、いっぱいいっぱいの生活になりました。
また20代で積み上げたキャリアが
育児休暇復帰後にゼロリセットされて精神的にもキツい毎日でした。
その頃、母親との関係の悩み苦しむ親友から頻繁に相談されることがありました。
何度か話を聞いていましたが、自分の忙しさ、余裕のなさから断ることも。
それから半年後、もう彼女には2度と会えなくなってしまいました。
亡くなったのです。
しばらくは毎日息が苦しく、自分を責めました。街中で彼女に似た人とすれ違う度に、彼女の姿を重ね、何度も追いかけてはガッカリしていました。
「何でもっと真剣に彼女の話を聞かなかったんだろう」と。
キャリアカウンセリングという仕事との出会い
それから、33歳で第2子を出産する際の育児休暇中にふと知った
「キャリアカウンセラー」という仕事。
その時は、
『今まで求人広告を通じて企業の採用側に立ってキャリアを見つめてきた。
今度は転職者の応募側にも立って見たい』という動機で学び始めました。
第2子を出産して、しばらくの間娘を抱っこしながらテキストを読んだり
授乳しながら理論を学んだり…。色々な知識を吸収して楽しい時間でした。
無事に資格も取得し、副業でカウンセリングをスタートしました。
親友の死で感じた「なんでもっと話を聞いてあげられなかったのだろう」という思いを
キャリアに悩む人の話を聞くことで罪滅ぼしをしている気になっていました。
でも、自分の本当にやりたいことは何なのか、自分は何者なのか、自分の生きる意味は何なのか、
が見えずモヤモヤした日々を過ごしました。
こうやって、何となく毎日を過ごして良いのだろうか。
命を精一杯生きているだろうか、と。
「キャリアカウンセラー」という仕事。
その時は、
『今まで求人広告を通じて企業の採用側に立ってキャリアを見つめてきた。
今度は転職者の応募側にも立って見たい』という動機で学び始めました。
第2子を出産して、しばらくの間娘を抱っこしながらテキストを読んだり
授乳しながら理論を学んだり…。色々な知識を吸収して楽しい時間でした。
無事に資格も取得し、副業でカウンセリングをスタートしました。
親友の死で感じた「なんでもっと話を聞いてあげられなかったのだろう」という思いを
キャリアに悩む人の話を聞くことで罪滅ぼしをしている気になっていました。
でも、自分の本当にやりたいことは何なのか、自分は何者なのか、自分の生きる意味は何なのか、
が見えずモヤモヤした日々を過ごしました。
こうやって、何となく毎日を過ごして良いのだろうか。
命を精一杯生きているだろうか、と。
40代、起業してカウンセリングを多くの人へ
37歳で第3子を出産。
長女、
次女ときて
初の男子。
その瞬間にこれで「産み終わりだ」と決めました。
それからというもの、
今までこの先どうしたら良いんだろう…
私は何がしたいんだろう…
とモヤモヤしていたこの先のキャリアの霧が
ふわーっ
と消えたのを今でもハッキリと覚えています。
そこで一念発起し、会社を退職。
キャリアカウンセラーとして独立し、カウンセリングを本業で行うようになりました。
トータルで300名以上の方に3000回の面談を実施しました。
自分自身が3回の産休・育休中に立ち止まり、その後のキャリアを考え悩んだ日々が
時には誰かの役に立っている、そう信じています。
一人で悩みを抱えてしまったり
誰かと比べて無性に焦ってしまったり
育児と家事を両立できるイメージが湧かなかったり
そんな方々のお話を丁寧に聞きながら不安解消のお手伝いをさせて頂いております。
↓
長女、
次女ときて
初の男子。
その瞬間にこれで「産み終わりだ」と決めました。
それからというもの、
今までこの先どうしたら良いんだろう…
私は何がしたいんだろう…
とモヤモヤしていたこの先のキャリアの霧が
ふわーっ
と消えたのを今でもハッキリと覚えています。
そこで一念発起し、会社を退職。
キャリアカウンセラーとして独立し、カウンセリングを本業で行うようになりました。
トータルで300名以上の方に3000回の面談を実施しました。
自分自身が3回の産休・育休中に立ち止まり、その後のキャリアを考え悩んだ日々が
時には誰かの役に立っている、そう信じています。
一人で悩みを抱えてしまったり
誰かと比べて無性に焦ってしまったり
育児と家事を両立できるイメージが湧かなかったり
そんな方々のお話を丁寧に聞きながら不安解消のお手伝いをさせて頂いております。
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